『蜂蜜一覧』明治9(1876)年版。丹波修治:編撰、溝口月耕:図画
翻字ご協力: 日朝(ひあさ)秀宜(ひでのり)氏(日本女子大学附属高校教諭)
※旧字体は、すべて新字体に変更。原文は右ルビと左ルビがあるが、もともと左ルビとして書かれていたルビは、青文字で表示。
渡辺養蜂場 にて販売されている、渡辺孝氏書き下ろし解説付、『蜂蜜一覧』と合わせてご覧いただくと、 より理解が深まります。
教 草
蜂蜜一覧
第廿四
深山大木の朽空又は岩石の間に巣を営
み樵者稀に其蜜を得るもあり此を山蜜
といふ至て上品なりと雖も販売するに
足らず 園養のものは其初め野生
のものを捕て久しく家に養たるものに
して是より採たるを家蜜といふ通常の
蜂蜜是なり石州にては初め山中の大樹
に巣を営みしを「ラツポ」といひて藁にて
圓く編たる物に砂糖など入て其処に釣
り置ば衆蜂此中に集るを持帰りて戸外
に養ふ紀州にて養ふ匣は図の如く杉の
四分板の其外部は削り内部は挽割し侭
のものにて製し其前後を揚戸にて戸の
下に蜂の出入する小孔を穿ち底板は前
後一寸程縁を出し蜂の棲止するに便す
雲州にては同大の匣を幾個も造り置き
房の嵩むに随ひ之を重畳す是を継箱と
いふ又風雨の内に入るを防ぐ為に前低
く後髙き四柱の台を造り其上に匣を居
へ 置く或は又台を用ひす人家の軒下樹
陰などに釣りて養ふ野州にては樽を薦
にて巻き軒下へ横につり其内に養ふ蜂
の種類に至りては各地同じからず今其
一二を挙ぐ
信州木曽の産は全身灰黄色なり是を「ヘ
ボ」と云ふ又黄班紋の物あり「トラバチ」と
いふ薩州の産は性至て温和同州日置郡
の産は茶褐色にして大さ三四分なり雲
州の産は形状薩州産のものに同して性
温和にて人に親しむ之を「キンバチ」とい
ふ又雲州には「ヤマミツバチ」「クマミツバ
チ」の二種あり性鋭にして養ひ難し
一種横條頗る黒くして蜜蜂よりは稍大
なるものありて堂中に雑居して蜜を
啖ふ大低八十八夜前より六月の末に至
り一堂に八九十も居るをあり是即ち雄
蜂にして之を「クロバチ」といふ八十八夜
前より此蜂衆蜂にまぢりて匣より出入
するときは早近きうち分封ありと知る
なり又「アカバチ」といひて勝れて大なる
蜂あり屢来て蜜蜂を害す注意して取除
くべし又褐色に淡黒班ある蛾あり七八
月の頃蜜の香を知て匣中に入り蜜を喰
ふ且羽を振ふゆへ蜂を乱すことあり是
又注意して取除くべし
蜜蜂の中に将軍と唱ふる肥大なる一の
雌蜂あり是は房の中心に畄り居て敢て
戸外に出でず唯群蜂を指揮して窠と蜜
のみを造る要務を使令す此蜂大低一房中
三四個を生じて分封する時衆蜂三分の
一は之に従ひ去る故に旧房の蜜は自ら
減ず依て生長せさる前に之を知るには
堂内に蜂の塊をなしたる半より下へ霧
を吹き入れ数多の蜂上面に登る時に彼
房の下部に乳頭の如き形の窠あり是将
軍と成べき蜂子の住む処なれば一個を
残して其餘は截去べし若多く分封を欲
するものは敢て截去に及ばず
此の截残したる窠より生じたる新将軍
大低八十八夜の後天気清明の日を卜し
て午時前に匣より出づ衆蜂亦之に従て
分れ出づる是を分封といふ此時遠く逃
さる為に水を澆き蜂翅を濡せば人家の
簷下或は庭樹に籏り集り殆ど鞠の形を
為す此に於て新匣を持行き箒にて掃ひ
落し養へば此中に房を造り蜜を醸して
一個の蜜堂となるなり如此して年々匣
数を増し養ふ
此蜂春の彼岸より十月中旬まての間樹
脂と蝋分あるものとを多く採来り淡黄
蜜蜂は其形黄蜂に似て小く長さ漸三四分全身微黄色毛茸ありて
脊は淡黒羽は灰白色なり此蜂人觸ふるると雖も螫こと少く若し螫とき
は刺脱して死す抑蜜蜂には野生と園生とありて其野生者は黄褐
色をして稍透明せる房を造る其形扁平
にして両面に多くの小窠あり是を側面
に立連ね互に軸を以て繋ぎ或は其一隅
を堂に接して造り小窠ごとに卵を着け花
の蜜を採来りて蜂子の食餌となし上に
白膜を覆ひ又冬月の粮に充む為に別の
窠に多くの蜜を貯ふ
蜜堂に出入する口の外に四五個看守す
る蜂ありて出入を検査し他のものゝ入
を禁じ且空手にて帰る蜂は敢て中に入
るを許さず其怠を責るに似たり
十月の末より翌二月頃まで堂中に蟄し
て彼蜜を食ふ故に蜜を截取る事多きに
過るときは動もすれば飢に及ぶ事あり
此時は皿に蜜を盛り堂に入て其不足を
補ふ且寒気を恐そるゝものなれば薦にて
堂を包み暖所に置なり
蜜を採るには大低夏至の六月下旬後房の三
分二を截採り其一分は残し置なり防州
にては秋の彼岸前後を適度とす此を截
るには蜜堂の後面の戸を叩けば蜂皆前
面に去る此に於て戸を開き小刀にて随
意に截採り匣を前に向け直し置ば元の
如く房を造る然しながら一時に前後左
右を截らぬ様注意すべし若前後より一
時に截採れば蜂来て人の面を螫すことあ
り是を防ぐには図の如く粗布にて造り
たる仮面をおほひ其業をなすなり又手
の不及ところは器械にて搔出すなり
截採りたる房は布を敷たる竹籮或は篩
の中に入れ此を瓶上に安じ日温の処に
置ば蜜自ら流出す其色黄褐にして飴の
如し此の如くして採たるものを「タレミ
ツ」といふ㝡上品なり又山間に養ふもの
は村里のものに比すれば量重くして色
も亦濃く冬月は凝固す扨其渣滓は布の
袋に入れ図の如く搾木にて搾るときは
再び蜜を得るといへども其蜜に蜂子蜂
窠等を混すれば下品とす之を「シボリミ
ツ」といふ夏月に至りて酸味を生ず
全く蜜を搾り取たる渣滓は再び布の袋
に入籰に繋ぎ釜中に沈め湯の沸騰に随
ひ蝋分溶觧して浮ぶを汲取り別の桶に
冷定して後鍋に入れ煮て溶觧し型に入
て凝固せしむ之を黄蝋といふ又之を白
蝋となすには釜に入れ適宜の水を加へ
煮て溶觧せしめ杓にて汲出し竹箸にて
攪擾しつゝ水桶の中に淋瀝する時は片
々小塊となる之を莚上に移し日光に曝
乾し轉廻両三度なせば白蝋となるなり
若日光甚強ければ時々水を噴掛け其溶
觧するを防ぐなり又雲州にては石灰百
匆を藁にて焚き此灰と共に水七合を混
し布袋にて濾過す此灰汁は黄蝋五斤を
晒すべし此割を以て黄蝋と共に釜に入
れ湯を加へ煮て溶觧せしめ桶に移し暫
く沈静せしめ後水桶中に瀝し箸にて攪
擾すれば凝固す之を曝匣に擴げ日光に
乾す斯の如く三四度曝すときは清潔な
る白蝋を得るなり
蜂蜜は安藝、周防、長門、日向、薩摩、筑前、石見、
出雲、伊勢、紀伊、信濃、佐渡、等其他多く西南
諸州より産出す其蜂を畜養するの法に
至りては大低相同じく只踈密あるのみ
今出雲国吉村耨一郎紀伊国菊地喜太郎
の記する所を諸書に論説するものとを
参考にして其概畧を誌す
丹波修治 編撰
明治五年冬
溝口月耕 図画
明治九年春 小林常賀 校訂
版部霊齋図
房に蜂のつく図
熊野ミツバチ キンミツバチ ヤマミツバチ トラバチ
同将軍バチ 蜂子ノ一 クマミツバチ 信州方言ボハチ
同クロバチ 蜂子ノ二 アカバチ
蜜ヲ食ニ
来ル蛾
房窠の図
蜜堂の図
分封したる図
蜜房を
截る図
雲州蜜堂継匣の図
蜜をたらす図
房を截るに
用る仮面
めんは蚊帳の
きれを用
ゆ
まわりにも
めんを用ゆ
タレ蜜の渣滓を搾る器械
タレ蜜の渣
滓を入る袋
房を截る
器械
袋入の渣滓を籰に
挟む
図
渣滓を袋に入たる者
黄蝋を煮る釜並竃
渣滓を煮て
黄蝋を製す
る釜並
竃
溶觧したる
蝋を
漉す
桶
冷水桶
黄蝋を入
る器
白蝋を曝
す図
ラツポの図
白蝋を煮る鍋及び
型に入れ製し上たる
白蝋
製造機械其外総て十分一の縮図